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  • のび太君革命論

  • 投稿者:管理者
 
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  • 役に立たない解説

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年11月13日(金)04時49分51秒
  • 返信
 
簡単な解説をつけます。

合法・公然の党
のび太君は、長期の獄中生活には耐えられないので当然である。

ブルジョアジーの支配と和解
のび太君は、ドラえもんの支えが必要であり、言い換えれば、ブルジョアジーの庇護が必要なのである。のび太君にとっては、ドラえもんそのものを、労働者の代表者に変えるように請願することが必要になるのである。

社会の諸階級の協力の下で、階級を廃止
つまり、ドラえもん(ブルジョアジー)の協力の下で、階級を廃止するのである。

それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命
のび太君のいじめられ方は、その国々で違うのであり、自明である。

ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制
のび太君のする仕事と、ドラえもんのする仕事は、能力が違う以上、社会的分業は当然である。その上で、能力に応じて働き、必要に応じて受け取る社会が実現するのである。
                                以上

  • [18]
  • 特別サービス

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年11月 4日(水)04時42分12秒
  • 返信
 
一応、【】はつけました。
●わが党の目的
(一)
 労働者階級(プロレタリアート)の解放は、労働者自身の事業である。この解放は、資本主義社会の【平和的な消滅】によって達成される。そして労働者階級の階級的解放は同時に、階級社会のもとでのあらゆる抑圧・差別からの人間の解放、すなわち普遍的な人間解放である。
 労働者階級は、生産の担い手であり、社会の真の主人公でありながら、資本主義のもとでは一切の生産手段・生活手段を奪われて資本の賃金奴隷となる以外に生きることができない。そこでは、人間の根源的な活動である労働は資本の自己増殖の手段となり、労働者は人間ではなく労働力商品として扱われている。プロレタリア革命とは、労働者階級が資本家階級(ブルジョアジー)の支配と【和解し、ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華し】、資本家階級の私有財産としてある社会的生産手段のすべてを団結した労働者のもとに【戻して、すべての階級の協力、分業の下で】全社会を再組織することにほかならない。それは賃労働と資本の関係を廃止すると同時に、一階級による他階級への抑圧と搾取そのものを【和解し、社会の諸階級の協力の下で、階級を廃止し、】本来の共同性を人間の手に奪い返すものとなる。
 われわれ革命的共産主義者同盟の目的はただひとつ、この労働者階級自己解放の闘いの全面的な貫徹とその完全な勝利にある。すなわち、資本主義・帝国主義の完全和解=プロレタリア世界革命の完遂と階級社会の【消滅】、真の人間的な共同社会=共産主義社会の建設である。
(二)
 この革命は、現代においては、【それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命】としてのみ勝ち取られる。
 レーニンが規定したように帝国主義は資本主義の最高の発展段階であるが、そのもとでは資本主義の矛盾は著しく激化し、帝国主義戦争と大恐慌の爆発はともに不可避である。帝国主義の時代はプロレタリア社会主義革命の時代そのものである。
 1917年のロシア革命は帝国主義打倒のプロレタリア世界革命の突破口を切り開き、現代世界は、資本主義から社会主義への世界史的過渡期に突入した。だが一国社会主義論をもってマルクス主義・レーニン主義を破壊し、ロシア革命を変質させたスターリン主義は、国際労働者階級の世界革命完遂への闘いを裏切り、圧殺して、逆に帝国主義の世界支配の補完物となり、帝国主義の延命を支える巨大な反革命へと転落した。このスターリン主義は、旧ソ連・東欧の崩壊をもってすでに歴史的に破産したが、完全に打倒されたわけではない。中国は今日、アクロバット的な資本主義化政策によって経済大国化しているが、その本質は【市場経済を生かした社会主義建設への道である。一方で、】スターリン主義による社会主義・共産主義の歪曲、とりわけマルクス主義の核心である労働者自己解放の思想の否定と解体は、今日なお世界の階級闘争に【是々非々の影響を与えている】。プロレタリア革命を完遂するためには、帝国主義の打倒とともに、スターリン主義を克服する第二の革命をやりぬいて、真のマルクス主義を労働者階級の手に全面的に奪い返して闘うことが不可欠である。
(三)
 この目的を実現するために、プロレタリアートは、自らを独自の政党(革命的労働者党)に組織して闘うことを必要とする。プロレタリア革命は、階級対立の中から自然に成長して【実現されるべきものであり、自らの歴史的使命を自覚できない】プロレタリアートによるブルジョアジーとの【和解】・労働者階級の政治権力樹立という、目的意識【を超越した】闘いをとおして初めて達成される。
 われわれはさらに、資本の支配を全世界的に和解するための労働者階級の【国際的な請願者】の一員となって闘う。そして帝国主義各国および全世界の闘う労働者との階級的連帯と団結のもとで、まずは自国のブルジョアジーと【和解】するために全力を挙げて闘う。

●革命情勢の成熟
(四)
 プロレタリア世界革命を実現する歴史的条件はすでに圧倒的に成熟している。今日の世界大恐慌の爆発は、労働者階級が団結して、最末期の危機にのたうつ資本主義・帝国主義と最終的に【和解】する時が完全に来ていることを示している。
 ロシア革命後、1929年大恐慌から第2次大戦を経て21世紀の今日に至る歴史は、危機を深める帝国主義が、スターリン主義の裏切りに助けられることで労働者階級の相次ぐ革命的決起を圧殺し、延命に延命を重ねてきた歴史である。だがそれは、資本主義・帝国主義の危機と腐敗をさらに極限まで推し進めるものであった。とりわけ労働者階級の怒りを体制の内側に改良主義的に吸収することによって資本の支配を維持しようとしてきた戦後の国家独占資本主義政策は、その矛盾と破綻を1974~75年恐慌として爆発させた。1980年代に本格化する新自由主義政策は、この帝国主義が行き着いた最後のあがきであった。それは資本のむきだしの弱肉強食の論理で全社会を覆いつくし、労働者階級への無制限の搾取の上に経済のバブル化・投機化を大々的に推進し、民営化による公教育や医療などの解体によって社会全体を荒廃と崩壊のふちに叩き込んだ。そして、一握りの帝国主義ブルジョアジーが他の一切の人民を犠牲にして莫大な富を手中にする状態をつくりだしてきた。
 今日の世界大恐慌は、その新自由主義の全面破産の結果であり、過去1世紀にわたって積み重ねられた全矛盾の爆発である。新たな延命の道は【昇華するべきである。】今や大恐慌をプロレタリア革命により、資本階級と【和解】するすることだけが、大失業と戦争(核戦争を含む)の破局を阻み、労働者階級はもとより全人類を破滅への行進から救い出す唯一の道である。全世界に巻き起こる労働者や農民の「生きさせろ!」の叫びを、今こそ現実の革命に【昇華】する時だ。
(五)
 一切のかぎは、資本の支配のもとで徹底した分断と競争にさらされている労働者が、この分断を打ち破って階級としてひとつに団結して立ち上がることにある。この団結の発展の中に、奪われてきた人間本来の共同性が生き生きとよみがえってくる。これこそが労働者階級のもつ本当の力である。社会を変革する真の力はここにある。
 今日の資本主義・帝国主義は、資本のはてしない増殖運動の結果として、巨大な生産力とともに、資本主義の墓掘り人であるプロレタリアートを全世界に膨大に生み出している。万国の労働者が団結して決起するなら、資本主義社会を【超越】して共産主義社会の建設に直ちに着手する諸条件はすでに完全に成熟しているのだ。

●革命の核心問題
(六)
 プロレタリア革命をやりぬくためには、労働者階級はまず、ブルジョアジーの手から政治権力を【分業的に和解して】、自らを【被支配階級】として【極める】必要がある。プロレタリア革命は本質的に【平和革命】である。ブルジョア独裁の国家権力と【和解】して労働者階級が打ち立てる新しい国家は、【ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制】である。
 【ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制】は、ブルジョアジーの【理解を完全に勝ち取る】ために必要であるだけではない。労働者階級がこの革命をとおして旧社会の汚物を一掃し、階級社会を【昇華】し、共産主義社会を建設する能力を実際に獲得していくためにこそ必要である。
 したがってそれは、ブルジョア国家の特徴である巨大な軍事的・官僚的国家機構を【平和的に解体し】、それを全人民の権利確立を始めとした全く別のもの(コミューン型国家、自らの死滅を準備する国家)に置き換えていくところから出発する。労働者階級はそのもとで、自分たち自身を【能力に応じて】、権力の直接の担い手へと高め、生産を再組織し、社会の全問題を団結して解決していく力を身につけていく。さらに農民を始めすべての勤労人民をも労働者国家の共同の担い手として獲得し、組織して、諸民族の対立をなくし、都市と農村の対立をも究極的に止揚し、差別も抑圧もない社会を現実につくりだすために闘うのだ。
 これこそ、労働者階級が、1871年のパリ・コミューンの経験、1905年や1917年のロシア革命におけるソビエト(労働者・農民・兵士代表評議会)樹立の経験をとおして、歴史的につかみとってきた共産主義社会実現への道である。
(七)
 革命の勝利にとって決定的なのは、労働者階級の党の建設である。マルクス主義を歪曲したスターリン主義は、党を、現実の労働者階級の外部に、階級の上に立つ特別の集団として位置づけてきた。だが『共産党宣言』も言うように、プロレタリアートの党は、労働者階級全体の利益から切り離された利益をもたない。また特別の原則を立てて、その型に労働者階級の現実の運動をはめ込もうとするものではない。労働者階級はその闘いをとおして、自らの力で党をつくりだす。党とは、労働者階級の権力樹立とそれをとおした共産主義の実現を直接に目指す共産主義者の政治的結集体である。したがって党は、労働者階級の一部であり、その階級意識を最も鋭く体現する最高の団結形態であり、最も鍛え抜かれた階級の【総和】である。
 この党建設は、資本との平和的和解を貫く労働者階級の階級的団結の形成を一切の軸にすえて闘う中でこそかちとられる。現代においては、何よりも、闘う労働組合をよみがえらせることと一体で形成・確立されるものである。
 労働者階級は党をつくりだすことで、自らを一個の政治勢力として登場させる。党は階級闘争の先頭に立ち、その中でつねに労働者階級の部分ではなく全体の利害を代表し、運動の現在だけでなく未来を体現し、社会革命の諸条件とプロレタリアートの【自覚が困難な】歴史的使命を、全階級の前に正面から提起して闘う。労働者階級はこの党を中心にすえて、資本家階級とその国家権力によって加えられるあらゆる圧殺攻撃と【和解】し、労働組合を基礎とした階級全体の団結を強化し発展させ、権力獲得のための【平和的議論の構築】に向かって、その勝利に必要な一切を意識的・計画的に準備していくのである。この党はしたがって、本質的に【合法・公然】の党として、同時にマルクス主義の党、【それぞれの国情に合わせた】労働者階級の党として建設される。
(八)
 こうした党を建設し、労働者階級の革命的な階級形成をかちとっていく上で最も重要なことは、労働組合の存在と役割である。労働組合の革命的役割を復権することこそ、マルクス主義をよみがえらせる闘いの核心である。
 労働組合は、労働者が団結して資本と闘う武器であり、労働者階級の最も基礎的な団結形態である。第一インターナショナルの決議「労働組合、その過去・現在・未来」は、「労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦のために必要なのであるが、賃労働制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力としてより一層重要である」と提起した。すなわち、労働組合は、党の闘いを媒介として、職場生産点における資本との日常的な闘いをとおして個々の労働者を階級として団結させ、革命の主体として打ち鍛える「社会主義の学校」(マルクス)である。そしてその団結の力をもって、職場の支配権を資本家階級の手から【平和的に禅譲し】、社会的生産を支配していく力を獲得する。この労働者階級による職場生産点の支配とその全社会的な拡大こそ、ブルジョア国家権力との【和解】=プロレタリア革命の勝利を保障する決定的条件である。
 さらに労働組合は、【ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制】を支える〈党・労働組合・ソビエト〉という三つの柱の戦略的一環を形成し、全労働者にとっての「共産主義の学校」(レーニン)となり、階級対立の【昇華】と共産主義社会建設への前進を切り開いていく土台となる。
 帝国主義とスターリン主義のもとではしかし、資本に飼いならされた労働貴族や体制内改良主義の支配のもとで、労働組合の革命的役割は縮小され、【一部の】組合は逆に資本の労働者支配を支える一手段に変質させられてきた。この現実を現場労働者の決起をもって【昇華し】、その本来の姿を圧倒的によみがえらせることが今こそ求められている。

●21世紀革命の課題
(九)
 今日、全世界の労働者に求められているのは、大恐慌と戦争への対決である。その最大の焦点は、労働組合と労働運動をめぐる革命と反革命との激突にある。
 大恐慌の爆発は、帝国主義戦争を不可避とする。この戦争は、労働者の階級的団結が徹底的に破壊され、労働組合が資本家階級の行う戦争に率先協力する機関に変質させられることによって可能になる。これが第1次大戦と第2次大戦の歴史的教訓である。今まさに全世界で、帝国主義の戦争と民営化・労組破壊攻撃に対して【和解して、これに屈服しながらもブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華するのか】という形で、労働組合と労働運動の進むべき道をめぐる一大分岐と激突が始まっている。それは同時に、プロレタリア革命に恐怖して登場してくるあらゆる反革命勢力、ファシスト勢力との激突である。ここで労働者階級が【屈服しながらも、平和的に】闘いぬくならば、闘う労働組合と階級的労働運動を全世界的規模でよみがえらせ、労働者階級による権力獲得への道を【間接的に開ける】ものとなる。
(一〇)
 この闘いは同時に、帝国主義とスターリン主義のもとで抑圧民族と被抑圧民族に分断されてきた労働者階級が、プロレタリアートとしての国際的=階級的団結を回復していく闘いである。民族・国籍・国境を越えたプロレタリアートの階級的団結こそ、帝国主義による侵略戦争・世界戦争を実力で阻止し、【それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命】を現実にたぐり寄せるものである。
(一一)
 資本主義・帝国主義の克服は今や、農民を始めとした勤労諸階級・諸階層の人民にとって、生き続けるためのきわめて切実な要求となっている。農業・農民問題の真の解決はプロレタリア革命に課せられた大きな課題であり、農民の革命的決断は、プロレタリアートの勝利を決するうえで決定的な位置をもっている。プロレタリア革命における労農同盟の巨大な意義を明確にして闘う。
(一二)
 国際帝国主義の最弱の環は日本帝国主義である。
 経済大国日帝の実体は米帝の世界支配によりかかった脆弱なものでしかない。日本の帝国主義としての最大の破綻点は、戦後憲法体制下の労働者支配の危機性と、安保・沖縄問題、すなわち日米安保同盟関係の矛盾と危機にある。世界大恐慌下でその矛盾と危機はいよいよ爆発点に達していく。これが生み出す巨大な情勢を日本革命の勝利に【昇華】することは急務である。
 今日すでに日本帝国主義は体制的危機に陥っている。そのため日帝は、帝国主義侵略戦争への体制を強化し、安保・沖縄攻撃、改憲攻撃、民営化と道州制、労組破壊の攻撃を強めてきている。しかし、日帝は今や財政破綻国家であり、その政治支配体制は崩壊的危機にひんしている。戦後革命期以来、最大の革命的情勢が到来したのである。今や一切は、帝国主義のもとで戦争・失業・搾取・収奪・病苦・虐殺の地獄の苦しみに突き落とされるのか、それともプロレタリア革命によって日本帝国主義と【和解】、日帝国家権力と【和解】を闘いとり、社会主義への道を切り開くのか――ここにかかっている。この戦争か革命かの帰趨は、すぐれて労働組合・労働運動をめぐる攻防での労働者階級の勝利にかかっている。
 資本家的政治支配、階級支配が解体的動揺に陥る中で、天皇制は帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボルとなる。労働者階級はプロレタリア革命の一環として、天皇制の一切の形態を【破棄し、共和制を目指す】。
(一三)
 日本革命の勝利は、朝鮮半島の南北分断打破・革命的統一をめざす朝鮮プロレタリアートの闘いと連帯し、また中国スターリン主義の【昇華】をめざす中国プロレタリアートの闘いと連帯してかちとられる。そしてこの勝利は、帝国主義の総本山であるアメリカ帝国主義の【和解】へ向けたアメリカ労働者階級の歴史的決起と結合して、今日の大恐慌を【それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命】の勝利に【昇華】する突破口となる。
(一四)
 われわれの基本精神は、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』の末尾に記した次の言葉にある。
 「共産主義者は、自分たちの見解と意図を隠すことを軽蔑する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の【強力】的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえに震えあがるがよい! プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」
 2009年 秋

  • [17]
  • 綱領草案(第Ω次草案)

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年10月31日(土)22時34分55秒
  • 返信
 
のび太君の、のび太君によるのび太君のための綱領草案を作成した。安田派の諸君、異論があるなら、どうぞ。なお、加筆、修正の部分については、各自、探すように。
●わが党の目的
(一)
 労働者階級(プロレタリアート)の解放は、労働者自身の事業である。この解放は、資本主義社会の平和的な消滅によって達成される。そして労働者階級の階級的解放は同時に、階級社会のもとでのあらゆる抑圧・差別からの人間の解放、すなわち普遍的な人間解放である。
 労働者階級は、生産の担い手であり、社会の真の主人公でありながら、資本主義のもとでは一切の生産手段・生活手段を奪われて資本の賃金奴隷となる以外に生きることができない。そこでは、人間の根源的な活動である労働は資本の自己増殖の手段となり、労働者は人間ではなく労働力商品として扱われている。プロレタリア革命とは、労働者階級が資本家階級(ブルジョアジー)の支配と和解し、ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華し、資本家階級の私有財産としてある社会的生産手段のすべてを団結した労働者のもとに戻して、すべての階級の協力、分業の下で全社会を再組織することにほかならない。それは賃労働と資本の関係を廃止すると同時に、一階級による他階級への抑圧と搾取そのものを和解し、社会の諸階級の協力の下で、階級を廃止し、本来の共同性を人間の手に奪い返すものとなる。
 われわれ革命的共産主義者同盟の目的はただひとつ、この労働者階級自己解放の闘いの全面的な貫徹とその完全な勝利にある。すなわち、資本主義・帝国主義の完全和解=プロレタリア世界革命の完遂と階級社会の消滅、真の人間的な共同社会=共産主義社会の建設である。
(二)
 この革命は、現代においては、それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命としてのみ勝ち取られる。
 レーニンが規定したように帝国主義は資本主義の最高の発展段階であるが、そのもとでは資本主義の矛盾は著しく激化し、帝国主義戦争と大恐慌の爆発はともに不可避である。帝国主義の時代はプロレタリア社会主義革命の時代そのものである。
 1917年のロシア革命は帝国主義打倒のプロレタリア世界革命の突破口を切り開き、現代世界は、資本主義から社会主義への世界史的過渡期に突入した。だが一国社会主義論をもってマルクス主義・レーニン主義を破壊し、ロシア革命を変質させたスターリン主義は、国際労働者階級の世界革命完遂への闘いを裏切り、圧殺して、逆に帝国主義の世界支配の補完物となり、帝国主義の延命を支える巨大な反革命へと転落した。このスターリン主義は、旧ソ連・東欧の崩壊をもってすでに歴史的に破産したが、完全に打倒されたわけではない。中国は今日、アクロバット的な資本主義化政策によって経済大国化しているが、その本質は市場経済を生かした社会主義建設への道である。一方で、スターリン主義による社会主義・共産主義の歪曲、とりわけマルクス主義の核心である労働者自己解放の思想の否定と解体は、今日なお世界の階級闘争に是々非々の影響を与えている。プロレタリア革命を完遂するためには、帝国主義の打倒とともに、スターリン主義を克服する第二の革命をやりぬいて、真のマルクス主義を労働者階級の手に全面的に奪い返して闘うことが不可欠である。
(三)
 この目的を実現するために、プロレタリアートは、自らを独自の政党(革命的労働者党)に組織して闘うことを必要とする。プロレタリア革命は、階級対立の中から自然に成長して実現されるべきものであり、自らの歴史的使命を自覚できないプロレタリアートによるブルジョアジーとの和解・労働者階級の政治権力樹立という、目的意識を超越した闘いをとおして初めて達成される。
 われわれはさらに、資本の支配を全世界的に和解するための労働者階級の国際的な請願者の一員となって闘う。そして帝国主義各国および全世界の闘う労働者との階級的連帯と団結のもとで、まずは自国のブルジョアジーと和解するために全力を挙げて闘う。

●革命情勢の成熟
(四)
 プロレタリア世界革命を実現する歴史的条件はすでに圧倒的に成熟している。今日の世界大恐慌の爆発は、労働者階級が団結して、最末期の危機にのたうつ資本主義・帝国主義と最終的に和解する時が完全に来ていることを示している。
 ロシア革命後、1929年大恐慌から第2次大戦を経て21世紀の今日に至る歴史は、危機を深める帝国主義が、スターリン主義の裏切りに助けられることで労働者階級の相次ぐ革命的決起を圧殺し、延命に延命を重ねてきた歴史である。だがそれは、資本主義・帝国主義の危機と腐敗をさらに極限まで推し進めるものであった。とりわけ労働者階級の怒りを体制の内側に改良主義的に吸収することによって資本の支配を維持しようとしてきた戦後の国家独占資本主義政策は、その矛盾と破綻を1974~75年恐慌として爆発させた。1980年代に本格化する新自由主義政策は、この帝国主義が行き着いた最後のあがきであった。それは資本のむきだしの弱肉強食の論理で全社会を覆いつくし、労働者階級への無制限の搾取の上に経済のバブル化・投機化を大々的に推進し、民営化による公教育や医療などの解体によって社会全体を荒廃と崩壊のふちに叩き込んだ。そして、一握りの帝国主義ブルジョアジーが他の一切の人民を犠牲にして莫大な富を手中にする状態をつくりだしてきた。
 今日の世界大恐慌は、その新自由主義の全面破産の結果であり、過去1世紀にわたって積み重ねられた全矛盾の爆発である。新たな延命の道は昇華するべきである。今や大恐慌をプロレタリア革命により、資本階級と和解するすることだけが、大失業と戦争(核戦争を含む)の破局を阻み、労働者階級はもとより全人類を破滅への行進から救い出す唯一の道である。全世界に巻き起こる労働者や農民の「生きさせろ!」の叫びを、今こそ現実の革命に昇華する時だ。
(五)
 一切のかぎは、資本の支配のもとで徹底した分断と競争にさらされている労働者が、この分断を打ち破って階級としてひとつに団結して立ち上がることにある。この団結の発展の中に、奪われてきた人間本来の共同性が生き生きとよみがえってくる。これこそが労働者階級のもつ本当の力である。社会を変革する真の力はここにある。
 今日の資本主義・帝国主義は、資本のはてしない増殖運動の結果として、巨大な生産力とともに、資本主義の墓掘り人であるプロレタリアートを全世界に膨大に生み出している。万国の労働者が団結して決起するなら、資本主義社会を超越して共産主義社会の建設に直ちに着手する諸条件はすでに完全に成熟しているのだ。

●革命の核心問題
(六)
 プロレタリア革命をやりぬくためには、労働者階級はまず、ブルジョアジーの手から政治権力を分業的に和解して、自らを被支配階級として極める必要がある。プロレタリア革命は本質的に平和革命である。ブルジョア独裁の国家権力と和解して労働者階級が打ち立てる新しい国家は、ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制である。
 ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制は、ブルジョアジーの理解を完全に勝ち取るために必要であるだけではない。労働者階級がこの革命をとおして旧社会の汚物を一掃し、階級社会を昇華し、共産主義社会を建設する能力を実際に獲得していくためにこそ必要である。
 したがってそれは、ブルジョア国家の特徴である巨大な軍事的・官僚的国家機構を平和的に解体し、それを全人民の権利確立を始めとした全く別のもの(コミューン型国家、自らの死滅を準備する国家)に置き換えていくところから出発する。労働者階級はそのもとで、自分たち自身を能力に応じて、権力の直接の担い手へと高め、生産を再組織し、社会の全問題を団結して解決していく力を身につけていく。さらに農民を始めすべての勤労人民をも労働者国家の共同の担い手として獲得し、組織して、諸民族の対立をなくし、都市と農村の対立をも究極的に止揚し、差別も抑圧もない社会を現実につくりだすために闘うのだ。
 これこそ、労働者階級が、1871年のパリ・コミューンの経験、1905年や1917年のロシア革命におけるソビエト(労働者・農民・兵士代表評議会)樹立の経験をとおして、歴史的につかみとってきた共産主義社会実現への道である。
(七)
 革命の勝利にとって決定的なのは、労働者階級の党の建設である。マルクス主義を歪曲したスターリン主義は、党を、現実の労働者階級の外部に、階級の上に立つ特別の集団として位置づけてきた。だが『共産党宣言』も言うように、プロレタリアートの党は、労働者階級全体の利益から切り離された利益をもたない。また特別の原則を立てて、その型に労働者階級の現実の運動をはめ込もうとするものではない。労働者階級はその闘いをとおして、自らの力で党をつくりだす。党とは、労働者階級の権力樹立とそれをとおした共産主義の実現を直接に目指す共産主義者の政治的結集体である。したがって党は、労働者階級の一部であり、その階級意識を最も鋭く体現する最高の団結形態であり、最も鍛え抜かれた階級の総和である。
 この党建設は、資本との平和的和解を貫く労働者階級の階級的団結の形成を一切の軸にすえて闘う中でこそかちとられる。現代においては、何よりも、闘う労働組合をよみがえらせることと一体で形成・確立されるものである。
 労働者階級は党をつくりだすことで、自らを一個の政治勢力として登場させる。党は階級闘争の先頭に立ち、その中でつねに労働者階級の部分ではなく全体の利害を代表し、運動の現在だけでなく未来を体現し、社会革命の諸条件とプロレタリアートの自覚が困難な歴史的使命を、全階級の前に正面から提起して闘う。労働者階級はこの党を中心にすえて、資本家階級とその国家権力によって加えられるあらゆる圧殺攻撃と和解し、労働組合を基礎とした階級全体の団結を強化し発展させ、権力獲得のための平和的議論の構築に向かって、その勝利に必要な一切を意識的・計画的に準備していくのである。この党はしたがって、本質的に合法・公然の党として、同時にマルクス主義の党、それぞれの国情に合わせた労働者階級の党として建設される。
(八)
 こうした党を建設し、労働者階級の革命的な階級形成をかちとっていく上で最も重要なことは、労働組合の存在と役割である。労働組合の革命的役割を復権することこそ、マルクス主義をよみがえらせる闘いの核心である。
 労働組合は、労働者が団結して資本と闘う武器であり、労働者階級の最も基礎的な団結形態である。第一インターナショナルの決議「労働組合、その過去・現在・未来」は、「労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦のために必要なのであるが、賃労働制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力としてより一層重要である」と提起した。すなわち、労働組合は、党の闘いを媒介として、職場生産点における資本との日常的な闘いをとおして個々の労働者を階級として団結させ、革命の主体として打ち鍛える「社会主義の学校」(マルクス)である。そしてその団結の力をもって、職場の支配権を資本家階級の手から平和的に禅譲し、社会的生産を支配していく力を獲得する。この労働者階級による職場生産点の支配とその全社会的な拡大こそ、ブルジョア国家権力との和解=プロレタリア革命の勝利を保障する決定的条件である。
 さらに労働組合は、ブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華した体制を支える〈党・労働組合・ソビエト〉という三つの柱の戦略的一環を形成し、全労働者にとっての「共産主義の学校」(レーニン)となり、階級対立の昇華と共産主義社会建設への前進を切り開いていく土台となる。
 帝国主義とスターリン主義のもとではしかし、資本に飼いならされた労働貴族や体制内改良主義の支配のもとで、労働組合の革命的役割は縮小され、一部の組合は逆に資本の労働者支配を支える一手段に変質させられてきた。この現実を現場労働者の決起をもって昇華し、その本来の姿を圧倒的によみがえらせることが今こそ求められている。

●21世紀革命の課題
(九)
 今日、全世界の労働者に求められているのは、大恐慌と戦争への対決である。その最大の焦点は、労働組合と労働運動をめぐる革命と反革命との激突にある。
 大恐慌の爆発は、帝国主義戦争を不可避とする。この戦争は、労働者の階級的団結が徹底的に破壊され、労働組合が資本家階級の行う戦争に率先協力する機関に変質させられることによって可能になる。これが第1次大戦と第2次大戦の歴史的教訓である。今まさに全世界で、帝国主義の戦争と民営化・労組破壊攻撃に対して和解して、これに屈服しながらもブルジョア国家権力とプロレタリア独裁を社会的分業によって、弁証法的に昇華するのかという形で、労働組合と労働運動の進むべき道をめぐる一大分岐と激突が始まっている。それは同時に、プロレタリア革命に恐怖して登場してくるあらゆる反革命勢力、ファシスト勢力との激突である。ここで労働者階級が屈服しながらも、平和的に闘いぬくならば、闘う労働組合と階級的労働運動を全世界的規模でよみがえらせ、労働者階級による権力獲得への道を間接的に開けるものとなる。
(一〇)
 この闘いは同時に、帝国主義とスターリン主義のもとで抑圧民族と被抑圧民族に分断されてきた労働者階級が、プロレタリアートとしての国際的=階級的団結を回復していく闘いである。民族・国籍・国境を越えたプロレタリアートの階級的団結こそ、帝国主義による侵略戦争・世界戦争を実力で阻止し、それぞれの国情に合わせたプロレタリア革命を現実にたぐり寄せるものである。
(一一)
 資本主義・帝国主義の克服は今や、農民を始めとした勤労諸階級・諸階層の人民にとって、生き続けるためのきわめて切実な要求となっている。農業・農民問題の真の解決はプロレタリア革命に課せられた大きな課題であり、農民の革命的決断は、プロレタリアートの勝利を決するうえで決定的な位置をもっている。プロレタリア革命における労農同盟の巨大な意義を明確にして闘う。
(一二)
 国際帝国主義の最弱の環は日本帝国主義である。
 経済大国日帝の実体は米帝の世界支配によりかかった脆弱なものでしかない。日本の帝国主義としての最大の破綻点は、戦後憲法体制下の労働者支配の危機性と、安保・沖縄問題、すなわち日米安保同盟関係の矛盾と危機にある。世界大恐慌下でその矛盾と危機はいよいよ爆発点に達していく。これが生み出す巨大な情勢を日本革命の勝利に昇華することは急務である。
 今日すでに日本帝国主義は体制的危機に陥っている。そのため日帝は、帝国主義侵略戦争への体制を強化し、安保・沖縄攻撃、改憲攻撃、民営化と道州制、労組破壊の攻撃を強めてきている。しかし、日帝は今や財政破綻国家であり、その政治支配体制は崩壊的危機にひんしている。戦後革命期以来、最大の革命的情勢が到来したのである。今や一切は、帝国主義のもとで戦争・失業・搾取・収奪・病苦・虐殺の地獄の苦しみに突き落とされるのか、それともプロレタリア革命によって日本帝国主義と和解、日帝国家権力と和解を闘いとり、社会主義への道を切り開くのか――ここにかかっている。この戦争か革命かの帰趨は、すぐれて労働組合・労働運動をめぐる攻防での労働者階級の勝利にかかっている。
 資本家的政治支配、階級支配が解体的動揺に陥る中で、天皇制は帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボルとなる。労働者階級はプロレタリア革命の一環として、天皇制の一切の形態を破棄し、共和制を目指す。
(一三)
 日本革命の勝利は、朝鮮半島の南北分断打破・革命的統一をめざす朝鮮プロレタリアートの闘いと連帯し、また中国スターリン主義の昇華をめざす中国プロレタリアートの闘いと連帯してかちとられる。そしてこの勝利は、帝国主義の総本山であるアメリカ帝国主義の和解へ向けたアメリカ労働者階級の歴史的決起と結合して、今日の大恐慌をそれぞれの国情に合わせたプロレタリア革命の勝利に昇華する突破口となる。
(一四)
 われわれの基本精神は、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』の末尾に記した次の言葉にある。
 「共産主義者は、自分たちの見解と意図を隠すことを軽蔑する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の強力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえに震えあがるがよい! プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」
 2009年 秋

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  • [16]
  • 別に議論に参加しようというわけではないですが、劣等労働者さんが、二次会で書いていたので

  • 投稿者: nelu (かわふくG)
  • 投稿日:2009年 8月19日(水)23時40分29秒
  • 返信
 
まず劣等労働者さんの「私は、暴力革命に反対している落ちこぼれの労働者です。」の意見については、私も元中核派であるし、実質てきには辞めているといえるとおもいますが、今でも、中核派でもあると思っています。

 随分遅れているけど、同時にこの本未だに売れ続けているということがわかりましたが、立花隆さんの「中核vs革マル」を今、<下>革マル派の謀略論云々がでてきたところまで読みました。

 革マル派との内ゲバとかなくて、中核派が新宿争乱事件をやって、お巡りさんも殺して(意図的殺人でなければ、ある程度わということもかんがえますが)・・・その延長線に革命があるという風におもえませんでした。

 これは余談てした。

左翼の政治活動なんか全くやってないので転向しているの同じかもしれませんが、私は、こうやって掲示板に書き込むのが政治活動だと思っています。それが生き甲斐というか・・・・また余談がながくなりました。

 とにかく、私はいろんな経緯があって、今、生長の家の信徒になっています。母は喜びました。母の実家はお百姓でして、百姓は天照大神だからとかいって・・ま余談がながいけど、母が神想観を教えてくれといったので、谷口清超先生の「神想観はすばらしい」というのと谷口雅春先生の「詳説 神想観」をわたしておきました。

 のびた君革命論との関係で「神想観はすばらしい」から引用します。

>>
ドラエモンのようなお友達がいてくれればいいのですが、現実にはそんな便利なお友達はいませんね。ところが、本当はドラエモンよりももっと頼りになるお友達がいるのです。それはあなたのなかにいる神さまです。毎日「神想観」をしていると、その神さまが、いつもあなたを正しい道に導いてくださめのです。
<<

 母には「神想観」は良いだろうと思います。しかし、わたしは憑いている霊が神想観をやるといやがって、酷く抵抗されて、疲れるだけで効果ないというか、逆効果になってしまうので、やつていません。

  • [15]
  • 勝利宣言?

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 8月 8日(土)00時51分16秒
  • 返信
 
お盆前に、急に寂しくなってしまったが、「勝利宣言」出すかな?

  • [14]
  • 訂正と補足

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月29日(水)21時59分24秒
  • 返信
 
1.社会的スキル・・・その労働者が生み出す実力の価値(一日800円分の仕事をすることができる)
2.職務遂行義務・・・資本家、市場が求める仕事の価値(日当1000円分の仕事をすることが求められる)
3.消費能力・・・労働者が生活できる価値(一日900円分で、おなかがいっぱいになる)
と定義すると、論理的矛盾ができてしまうので、以下のように訂正する。
このカテゴリーの関係で、1>2>3という状況ののび太君は、「起きて三畳、寝て1畳」の理想的な生活ができる、一番幸福で、望ましいのび太君である。
1>3>2という状況ののび太君は、生活は苦しいが、努力すれば報われる可能性のあるのび太君である。
2>1>3という状況ののび太君は、職場ではいじめられるが、我慢できるのび太君である。
2>3>1という状況ののび太君は、 職場でもいじめられ、我慢するのも厳しいが、とりあえず生活できるのび太君である。
3>1>2という状況ののび太君は、生活は苦しいが、職場ではいじめのないのび太君である。
3>2>1という状況ののび太君は、生活も苦しいし、職場でもいじめられる、しかも、努力しても報われない、一番悲惨なのび太君である。
> つまり、のび太君にとっては、1>2>3の状況を目指すのが、革命であり、「1.社会的スキル」の数値を上げることは、相対的な問題なのである。(もちろん「2.職務遂行義務」「3.消費能力」の数値も相対的な問題である。)だから、のび太君とは「1>2>3以外のタイプで、1>2>3のタイプを目指している社会的弱者」とでも定義されるだろう。

これでも、多少、自爆した感はあるが、論理的な矛盾は克服されただろう。

>「1.社会的スキル」の数値を、個人の中で最上位に持ってくることが「革命」なんて言っちゃったら、
「労働者よ、社会的スキルを上げるべく努力せよ」っていう方針しかでてこないでしょう。
「具体的な運動に対しては絶望的に消極的」なんだから、後は個人の努力しか残ってませんよ。

この点について、反論が2点ほど。
まず第一に「1.社会的スキル」の数値を、個人の中で最上位に持ってきても、
「2.職務遂行義務」を下げる(楽で安い仕事を探す)ことや、「3.消費能力」を下げる(昼寝の時間を増やす)などの処置をすれば、「1.社会的スキル」の数値を上げることなく、「のび太はのび太のままではいられる」ということになるのである。(相対的な問題とは、そういう意味である。)
第二に、1>2>3の状況を目指すのが、革命であるというのは、不十分であった。ただ、革命でないにしろ、その前段階で1>2>3の状況にいたらなければ、のび太君には、いじめによる自殺か、餓死しか残されていないのである。
それでは、のび太君にとっての革命とは、どういう状況なのだろうか。一般的には、革命の第一段階は、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」段階である。だから、1=2=3を目指すのである。そして、革命の第二段階としては、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という段階、つまり3>1=2を目指すのである。
1>2>3から1=2=3、そして3>1=2への変化を、1の数値を固定したままでやろうとするのが、のび太君革命論なのである。
ではどうすれば、可能なのか。当然、のび太君一人ではどうにもならない。だから、ドラえもんが必要なのである。

>ブルジョアイデオロギーを社会的に流布しているという点で、
セワシとドラえもんこそ、ブルジョアジーの人格的体現者といえます。

だとすれば、変革するべきものは、のび太君ではなく、ドラえもんである。ドラえもんについては、あえて言及しないが、実は、暗示されているのである。

  • [13]
  • 漫画「ドラえもん」の読み過ぎ?

  • 投稿者:通行人3
  • 投稿日:2009年 7月29日(水)02時07分12秒
  • 返信
 
> つまり、のび太君にとっては、1>2>3の状況を目指すのが、革命であり、
> 「1.社会的スキル」の数値を上げることは、相対的な問題なのである。
> (もちろん「2.職務遂行義務」「3.消費能力」の数値も相対的な問題である。)
> だから、のび太君とは「1>2>3以外のタイプで、
> 1>2>3のタイプを目指している社会的弱者」とでも定義されるだろう。



アクセル踏み込むと危ないって忠告したのに、劣等労働者さん、アクセル踏み過ぎ。
私には「自爆した」としか思えません。


「1.社会的スキル」の数値を、個人の中で最上位に持ってくることが「革命」なんて言っちゃったら、
「労働者よ、社会的スキルを上げるべく努力せよ」っていう方針しかでてこないでしょう。
「具体的な運動に対しては絶望的に消極的」なんだから、後は個人の努力しか残ってませんよ。

それが「のび太君革命論」の結論ですか?
結局、「のび太はのび太のままではいられない」ってことですよ。


漫画「ドラえもん」の読み過ぎです。
この漫画で、ブルジョアジーそのものとして登場しているわけではないですが、
ブルジョアイデオロギーを社会的に流布しているという点で、
セワシとドラえもんこそ、ブルジョアジーの人格的体現者といえます。

彼らは、「怠け者は、どんなに便利な道具を手にしても、結局最後に痛い目を見る」
「怠け者は、孫子の代にまで借財を残して苦しめる」
という「因果応報論」とでも言うべきブルジョアイデオロギーを発信しているのであり、
読者に「スキルアップを怠るな」と叱咤する扇動者です。
「のび太君革命論」の提唱者が、彼らに洗脳されたら、のび太は泣いちゃいますよ。

私も過去ログを読み返して考えますから、「のび太」とは誰のことなのか、
じっくりご再考頂けませんか?

  • [12]
  • 説明不足だったか

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月28日(火)22時20分4秒
  • 返信
 
> 3つのカテゴリーの「用語」が少し適切でないような・・・
「3消費能力」より「2職務追行義務」が大きいとはどういった状況なのか?
一日に1000円の消費しかできない(それだけで満足する)労働者がいるとする。その場合、日当1200円の労働に従事すれば、「3消費能力」より「2職務追行義務」が大きいといった状況になる。

思いっきり単純化して、定義すれば
1.社会的スキル・・・その労働者が生み出す実力の価値(一日800円分の仕事をすることができる)
2.職務遂行義務・・・資本家、市場が求める仕事の価値(日当1000円分の仕事をすることが求められる)
3.消費能力・・・労働者が生活できる価値(一日900円分で、おなかがいっぱいになる)
用語そのものが不適切なら、何かよい言葉、提案、募集する。

  • [11]
  • うむ、理解ができん

  • 投稿者:GO@あるみさん
  • 投稿日:2009年 7月28日(火)21時43分54秒
  • 返信
 
>1.社会的スキル
2.職務遂行義務
3.消費能力
このカテゴリーの関係で、1>2>3という状況ののび太君は、「起きて三畳、寝て1畳」の理想的な生活ができる、一番幸福で、望ましいのび太君である。
1>3>2という状況ののび太君は、小ブルジョアになりうるのび太君である。
2>1>3という状況ののび太君は、職場ではいじめられるが、我慢できるのび太君である。
2>3>1という状況ののび太君は、いじめられる上に、生活もままならないが、努力すれば報われる可能性のあるのび太君である。
3>1>2という状況ののび太君は、生活は苦しいが、職場ではいじめのないのび太君である。
3>2>1という状況ののび太君は、生活も苦しいし、職場でもいじめられる、しかも、努力しても報われない、一番悲惨なのび太君である。
つまり、のび太君にとっては、1>2>3の状況を目指すのが、革命であり、「1.社会的スキル」の数値を上げることは、相対的な問題なのである。(もちろん「2.職務遂行義務」「3.消費能力」の数値も相対的な問題である。)だから、のび太君とは「1>2>3以外のタイプで、1>2>3のタイプを目指している社会的弱者」とでも定義されるだろう。

3つのカテゴリーの「用語」が少し適切でないような・・・
「3消費能力」より「2職務追行義務」が大きいとはどういった状況なのか?
3は、必要な消費量 であり、 2は(ペストのように嫌われる)労働(のようなもの)をこなして、消費力を得るための能力 であり、1は、「労働」をより楽しく行うための能力 を示すのだろうか。

>のび太に「ジャイアンの如く強くなって自己解放闘争を闘え」と
強要しても、どだい無理な話だ、
反中核連合さんが言うように「障害者」や「高齢者」のような
「労働者階級にすらなれない人間=社会的弱者」はどうするんだ?

で、私は「のび太君」はドラえもんを媒介として、のび太君のまま、強くなる・・・それが革命だ!と書いたのですが。全ての労働者が「動労千葉」のようにスーパーなものに、なれるわけではないし、なれない(強くなる方法を学ぶことはできる・・・それを媒介するのは「ドラえもん」か?それとも党か?)

  • [10]
  • カテゴリーミスティク

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月28日(火)21時18分24秒
  • 返信
 
>今後、 「のび太」=「日本人男性で健常者かつ民間中小企業の正規職労働者」と理解した上で、議論に参加してよろしいですか?

具体例を出すとこういう誤解を生み出す可能性があると思われたが、やはりまずかったようだ。「健常者」「中小企業」「正規職労働者」これらの概念は、連続したスペクトルとして捉えるべきだというのが、私の考えである。「健常者」とは、障害者手帳のあるなしで、線を切れるのだろうか。「中小企業」と「大企業」の違いは、従業員が、100人の会社と101人の会社で、線を切ることに意味があるのか。「正規職労働者」といっても、上は、管理職から、下は平社員。逆に「非正規労働者」や「派遣労働者」もスキルに応じて、さまざまな階層に分かれている。そういう社会で、「正規職労働者」という括りは、意味があるのか。具体例を出せば、そういう一例もあるが、定義づけとしては、反対である。

> 「のび太」
=「社会的弱者」
=「搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々」
というように議論が展開してきたと解釈してましたが、違うようですね

これは、相対的な評価が、含まれるものであるだろう。「障害者」や「高齢者」でも、労働者階級になっている方もいるし、「健常者」でも「労働者階級にすらなれない人間=社会的弱者」もいる。これでは、完全なカテゴリーミスティクである。
そこで、新たに3つのカテゴリーを導入することにしたい。
1.社会的スキル
2.職務遂行義務
3.消費能力
このカテゴリーの関係で、1>2>3という状況ののび太君は、「起きて三畳、寝て1畳」の理想的な生活ができる、一番幸福で、望ましいのび太君である。
1>3>2という状況ののび太君は、小ブルジョアになりうるのび太君である。
2>1>3という状況ののび太君は、職場ではいじめられるが、我慢できるのび太君である。
2>3>1という状況ののび太君は、いじめられる上に、生活もままならないが、努力すれば報われる可能性のあるのび太君である。
3>1>2という状況ののび太君は、生活は苦しいが、職場ではいじめのないのび太君である。
3>2>1という状況ののび太君は、生活も苦しいし、職場でもいじめられる、しかも、努力しても報われない、一番悲惨なのび太君である。
つまり、のび太君にとっては、1>2>3の状況を目指すのが、革命であり、「1.社会的スキル」の数値を上げることは、相対的な問題なのである。(もちろん「2.職務遂行義務」「3.消費能力」の数値も相対的な問題である。)だから、のび太君とは「1>2>3以外のタイプで、1>2>3のタイプを目指している社会的弱者」とでも定義されるだろう。

最後に
> ただ、もともと「のび太君革命論」というのは、 革共同中央派の、動労千葉を中心とした四大産別決戦論に代表される 階級的労働運動を批判する立場から提起されたものだったと記憶しています。

これ、途中で、そういう話の流れも、少し混ざったかもしれないが、私がデビューしたきっかけは、在本土労働者氏の「下部主義」批判に対する反論だったと記憶しているのだが・・・

  • [9]
  • Re: 15年後の のび太君

  • 投稿者:通行人3
  • 投稿日:2009年 7月28日(火)00時51分39秒
  • 返信
 
いきなり、ドラえもんの出る幕無いまま大団円を迎えちゃうっていう展開が、
ちょっと気になりますが、
とりあえず、劣等労働者さんが想定されている「のび太」が
おぼろげながら見えてきました。

「日本人の男性健常者で、民間中小企業の労組執行部も担う正規職労働者」
ということかな?

ただ、もともと「のび太君革命論」というのは、
革共同中央派の、動労千葉を中心とした四大産別決戦論に代表される
階級的労働運動を批判する立場から提起されたものだったと記憶しています。

のび太に「ジャイアンの如く強くなって自己解放闘争を闘え」と
強要しても、どだい無理な話だ、
反中核連合さんが言うように「障害者」や「高齢者」のような
「労働者階級にすらなれない人間=社会的弱者」はどうするんだ?
つまり、革共同中央派の労働運動論から切り捨てられた人達に光を当てる
べきではないかと・・・。

こうした流れから・・・、
「のび太」
=「社会的弱者」
=「搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々」
というように議論が展開してきたと解釈してましたが、違うようですね。

今後、 「のび太」=「日本人男性で健常者かつ民間中小企業の正規職労働者」
と理解した上で、議論に参加してよろしいですか?

  • [8]
  • 15年後の のび太君

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月27日(月)00時31分40秒
  • 返信
 
> 比喩なんか止めて、単刀直入かつ具体的な事例を挙げてもらった方が
ありがたいんですけど・・・・。

のび太君で定義される労働者は、それぞれ個性があり、多様であるため、一言で定義するのにはまだ時間がかかるし、これからの議論で、より深められていくことだろう。
となると、ドラえもんと同じではないかということになってしまうが、のび太君の場合は、あくまでフィクションであるが、私なりに具体像を描いてみたい。
題して「15年後ののび太君」
ドラえもんが未来の世界に帰って数年後、彼は、今はやりのニートをやっていた。ところが、ある日、全日本あやとり選手権でたまたま優勝し、なんと、あやとり出版株式会社に正社員として採用されることになったのだ。彼の豊富なあやとりの知識が、会社は高く評価したのである。しかし、ふたを開けてみると、彼の作る原稿は誤植だらけ。勤務時間も大幅にオーバーし、朝まで仕事をすることもしばしば。運悪く、課長は、そういうのび太を自分の出世のためには邪魔だと感じたらしく、「ミスをしたら減給処分だ。」「勤務時間内に仕事を終わらせろ。」「あなたに払う超勤手当など、一切ない。」「できないなら、さっさと辞表を書け。」とパワハラの連続。さらに一緒にに働いている派遣や契約社員にも「あなたのミスが、全部私たちのところに被ってくるんだ。」「あなたが辞めてくれれば、私たちの誰かが正社員に採用されるんだ。」「俺らよりも高い給料をもらっているのなら、その分の仕事はきちんとしろ。」と嫌がらせの連続。たまりかねたのび太は労働組合に加入。たまたま組合の役員のなり手が不足していたので、あっさり執行委員になってしまった。彼は、「仕事が遅くて、ミスが多い人でも、働きやすいように環境を整えれば、優秀な職員は、もっと働きやすくなるんだ。」と周りの職員に訴え始めた。しかし、ほかの役員からは、「そういう発想では、当局と交渉することができないし、周りの労働者も指導できないので困る。もっと、仕事も労働運動も、勉強しろ。」と怒られる始末。「できの悪い職員を守ることもできないで、労働運動なんてありえない。仮に自分自身が努力して、優秀な職員になったとしても、今度は、2番目にできの悪い職員が、第2ののび太になるだけだ。私は、できの悪い職員のままで、労働運動を続け、社会主義革命を目指す。交渉や、周りの労働者の指導は、できの良い労働者が、意識を持ってあたれば済む話だ。能力なんて関係ない。競争より団結だ!」ということで、今日ものび太は、長期大衆抵抗路線を突っ走るのであった。

  • [7]
  • Re: のび太くんって誰なんだ?

  • 投稿者:GO@あるみさん
  • 投稿日:2009年 7月26日(日)18時10分59秒
  • 返信
 
通行人3さんへのお返事です。
> 私が発問の順番を間違えました。
> まずは、一番肝心な「のび太くん」って誰のことなのか、
> それをはっきり定義しましょう。

フツーの労働者、出来杉君のように「勝ち組」に行くには遠く、ジャイアンのように力も強くない、スネ夫のように狡猾でもない、で、ブルジョワイデオロギー影響下にあって、「支配欲」や「差別意識」も、向上心も怠け心もある。

> ・・・・っていうか、そもそも階級闘争の世界を
> 漫画「ドラえもん」で譬えるメリットってあるんでしょうか?
> 見てる方がこんなにハラハラするんなら、
> 比喩なんか止めて、単刀直入かつ具体的な事例を挙げてもらった方が
> ありがたいんですけど・・・・。

いや~それを言っちゃったら、せっかくの「ドラえもん板」が(^^;;

  • [6]
  • のび太くんって誰なんだ?

  • 投稿者:通行人3
  • 投稿日:2009年 7月23日(木)10時56分16秒
  • 返信
 
早速、このような場を設けて頂きました管理人様に、心から感謝致します。
そこで、「いや~、これで一安心」と思いきや、いきなりアクセル全開で
かなり危ない領域に突入しちゃってるもんだから、
思わず頭抱えこんでしまいました。


> 搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々が、
> 自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとすることを
> 拒否した上でのカウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志とは、
> 自家撞着のような気がする。


ア、アブない!アブな過ぎます・・・。
劣等労働者さん、時間はたっぷりあるんですから、まずは低速発進しましょうよ。
いきなり、アクセルを踏み込んではいけません。
自爆しますよ。

私が発問の順番を間違えました。
まずは、一番肝心な「のび太くん」って誰のことなのか、
それをはっきり定義しましょう。

・・・・っていうか、そもそも階級闘争の世界を
漫画「ドラえもん」で譬えるメリットってあるんでしょうか?
見てる方がこんなにハラハラするんなら、
比喩なんか止めて、単刀直入かつ具体的な事例を挙げてもらった方が
ありがたいんですけど・・・・。

  • [5]
  • のび太君の実在性?

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月22日(水)23時48分13秒
  • 返信
 
> まず、映画を見に行く人たちは、いつもドラえもんから道具を借りてはロクでもない失敗するのび太君と同一の「のび太君」を見て、そしてそれがかっこよく活躍するからこそ、喝采を叫ぶのではないでしょうか。よって、同一と見なしたほうが良いと思います。
ある意味常識的な見解ではあるが、これでは、観察者が、実在を決定する、ロック流の経験論にたつことになる。私は、鶴見俊輔などが研究しているプラグマティズムには、かなり影響は受けているが、それでも、基本的には、実在論の立場に立つべきだと思っている。いわゆる唯物論も、トポスに違いが見られるが、やはり実在論に立っている。だからこそ、のび太君に限らず、万物の変化の説明に、苦労しているのである。

  • [4]
  • ドラえもんは媒介物か、道具か?

  • 投稿者:GO@あるみさん
  • 投稿日:2009年 7月22日(水)21時03分15秒
  • 返信
 
劣等労働者さんへのお返事です。
> まさか、ドラえもん板ができるとは、夢にも思いませんでした。
「のび太君革命論」になってしまいましたね。管理人さん度々すみません。
> よく虚構世界において、同一性の問題が、議論されることがよくある。つまり、通常放送ののび太君と劇場版ののび太君は同一人物といえるのだろうかという問題である。これは、現実社会でも起こりうる問題であって、現在の劣等労働者と、10年後の劣等労働者が、世界観が100%違っていたら、同一と呼べるのだろうかということである。

まず、映画を見に行く人たちは、いつもドラえもんから道具を借りてはロクでもない失敗するのび太君と同一の「のび太君」を見て、そしてそれがかっこよく活躍するからこそ、喝采を叫ぶのではないでしょうか。よって、同一と見なしたほうが良いと思います。
そこで、劇場版で、のび太君は変わる・・・現在の劣等労働者と、10年後の劣等労働者が、世界観が100%違うことが、スクリーンの中で起こるのです。それを媒介するものの一つ(あくまでも)として、ドラえもんが居るのではないでしょうか?

> >力への意志=純然たる新自由主義という帰結しか生み出さないのではないだろうか?
> は、違うのではないだろうか?カウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志ともなる。
>
> 搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々が、自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとすることを拒否した上でのカウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志とは、自家撞着のような気がする。搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々が、自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとすることを積極的に肯定した上でのカウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志ならば、理解可能であるのだが・・・

なるほど、救済を積極的に肯定ですね。そこは十分必要だと思います。
派遣切りされ、住む場所もない、食うものもない、「ドラえもん(でも何でもいいのだが)何とかして~」状態の人に、「自分で考え、立ち上がれ!」とのみ言うだけではなんにもならない。腹減って困っている、寒くて寝る所がない・・・人たちに「派遣村」というのは最小限必要(かつ有効)でした。
某派は「派遣村を「労働者を救済の対象にするもので、ナンセンス」というような態度でしたが、綱領的に「労働者は救済の対象でなく、自己解放の主体である」となっていても、現実に対応する「ドラえもん」を沢山つくらないことには、信用されませんね。
> ドラえもんは、階級闘争の世界に当てはめた場合、まだ未完成品であり、状況によっては、生活防衛・相互扶助のネットワークとしての「協同組合」や
> 、湯浅誠さんが云うところの「溜め」になりうる可能性も当然ある。
「生活(生産)共同組合」のよき管理人、「溜め」、いろいろ使えると思います。

もちろんドラえもんが「敵」の手に渡ると、ものすご~く恐いと思います。

そうそう、通行人3さんの参加をお待ちしておりますよ。

  • [3]
  • ついにドラえもん板が誕生

  • 投稿者:劣等労働者
  • 投稿日:2009年 7月20日(月)21時04分10秒
  • 返信
 
まさか、ドラえもん板ができるとは、夢にも思いませんでした。ただ、ドラえもんはあくまでも比喩であり、社会的弱者にとっての革命は、本来なら、マルクスやレーニン、もしくは、分裂抗争に明け暮れる走狗集団のダラ幹が論じなくてはいけないことであり、場合によっては、通常板でも、止むを得ず逸脱する場合も、ありえますので、ご容赦願います。
ということで、本題に入ります。
>毎年やってる劇場版「ドラえもん」(ひとりもんの私は見たことはありませんが)のび太君がドラえもんの力を借りて、なおかつジャイアンやスネ夫ともいっしょに「問題解決(まあ、映画の世界で「悪を懲らす」)」をしますよね。そのイメージではないのでしょうか?

よく虚構世界において、同一性の問題が、議論されることがよくある。つまり、通常放送ののび太君と劇場版ののび太君は同一人物といえるのだろうかという問題である。これは、現実社会でも起こりうる問題であって、現在の劣等労働者と、10年後の劣等労働者が、世界観が100%違っていたら、同一と呼べるのだろうかということである。しかも、劣等労働者は、現実に存在するが、のび太君は、漫画以外の世界では存在しないのであり、存在しないものについての同一性の問題は、非常にややこしい部分があります。ライプニッツは不可識別者同一の原理を唱えたが、あまりきつく捉えると、同一のものは、何もなくなる(ポテンシャルが、時間によって違うのが、現実世界である)ので、それを乗り越えるために、身体説とか、状況説とか、いろいろな諸説が存在するのである。このようなことを論じるのは、私自身は、通常放送ののび太君と劇場版ののび太君は同一人物と言えないと考えているからである。(少なくとも、革命的な存在と捉える限りにおいては)

>力への意志=純然たる新自由主義という帰結しか生み出さないのではないだろうか?
は、違うのではないだろうか?カウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志ともなる。
なるほど、「力」のみへの信仰は、これまで様々なマイナスを生み出した。だが、映画「蟹工船」(今日見たぞ~)には、対抗する力を、自ら考えて持てというメッセージがありましたよ。

搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々が、自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとすることを拒否した上でのカウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志とは、自家撞着のような気がする。搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々が、自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとすることを積極的に肯定した上でのカウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志ならば、理解可能であるのだが・・・

>階級闘争の世界に当てはめた場合、「ドラえもん」は何の譬えなのでしょう。
生活防衛・相互扶助のネットワークとしての「協同組合」。
もっと狭い世界に限定すれば、湯浅誠さんが云うところの「溜め」。
そういったものを「ドラえもん」に仮託されているのかと思っていたのですが、そうでもないようです。

ドラえもんは、階級闘争の世界に当てはめた場合、まだ未完成品であり、状況によっては、生活防衛・相互扶助のネットワークとしての「協同組合」や
、湯浅誠さんが云うところの「溜め」になりうる可能性も当然ある。ただ、現時点で、ドラえもんをどのような方法で完成するかを述べてしまうと、私自身の身体に危険が及ぶ状況にある。この点については、今後の議論の過程において、暗示的に示されるものだと思う。

  • [2]
  • ドラえもん談義というか・・・

  • 投稿者:GO@あるみさん
  • 投稿日:2009年 7月20日(月)20時10分28秒
  • 返信
 
管理人様、お手数をかけました。ありがとうございます。
でも本来は「のび太君がのび太君のままで」革命ができるようにならないといけないという、「のび太君革命論」だったのですね。
で、のび太君を語ろうとすると、ドラえもんをどう解釈するのか?
党はドラえもんなのか?ドラえもんにどこまで近づくべきか(あるいはドラえもんを解体するのか?)というところに行き着くわけです。

のんびりやりましょう(^^)

  • [1]
  • ドラえもん談義を移設しました。

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2009年 7月20日(月)01時15分29秒
  • 返信
 
ドラえもんワールドは  投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 7月19日(日)23時47分54秒 返信・引用
こちらへ・・・

でも、早々に「のび太君革命論」掲示板を作らんといかんかもしれないですな。
http://hendora.com/index.htm



ドラえもんの役割とは?  投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 7月19日(日)23時46分10秒 返信・引用
劣等労働者さんへ
>ドラえもんは、のび太君がのび太君のまま強くなるように「指導」というか、自主的に強くなるようにその能力を引出すべきものとしての存在なのだろうか。
ひみつ道具を使ってスキルアップを狙うなどもっての外だというのは同感である。ただ、「指導」で、本当の意味でのび太君自身が強くなるかどうかは、ドラえもんの存在とはニュートラルなものである。ドラえもん=のび太君=出来杉君ではなく、ドラえもん、のび太君、出来杉君それぞれが個別に存在して、なおかつ階級的団結が出来る世界でないと、革命など起こりえないのではないか。

についてですが、毎年やってる劇場版「ドラえもん」(ひとりもんの私は見たことはありませんが)のび太君がドラえもんの力を借りて、なおかつジャイアンやスネ夫ともいっしょに「問題解決(まあ、映画の世界で「悪を懲らす」)」をしますよね。そのイメージではないのでしょうか?
>万民を救うドラえもんにすることはできないか
ドラえもんはひみつ道具で「願いをかなえる」ロボットですから、うまく働けば「万民を救う」可能性はあります。ただ、道具を使うのは人間で、失敗すれば・・・実際、のび太君も道具を借りて、トンでもない失敗をやらかす、それが漫画のネタになっているのですが…救うどころか、かえって窮地に陥れるようにもなります。

党は「道具」や「ロボット」ではないですね。道具やロボットは、一旦できあがると、それ以上のことはできません。党は学習して進化しないと(「中央派」は「後ずさり」、「再建協」は「立ち止まり」ってところかな^^)ま、ドラえもんは学習して進化しそうですが・・・

あと
>力への意志=純然たる新自由主義という帰結しか生み出さないのではないだろうか?
は、違うのではないだろうか?カウンター力=新自由主義を粉砕する力への意志ともなる。
なるほど、「力」のみへの信仰は、これまで様々なマイナスを生み出した。だが、映画「蟹工船」(今日見たぞ~)には、対抗する力を、自ら考えて持てというメッセージがありましたよ。



議論の前に  投稿者:通行人3  投稿日:2009年 7月19日(日)23時41分55秒 返信・引用
> No.547[元記事へ]

劣等労働者さんへのお返事です。


劣等労働者の議論には共感するところ大でして。
お互いに頭の中で描いている世界は、それほど違わないと思いますよ。

ただ、議論するにしても、もう少し劣等労働者さんのお考えを伺っておかないと、
無駄に議論がすれ違うだけですからね。

劣等労働者さんは、漫画「ドラえもん」をどう解釈されてますか?
階級闘争の世界に当てはめた場合、「ドラえもん」は何の譬えなのでしょう。

生活防衛・相互扶助のネットワークとしての「協同組合」。
もっと狭い世界に限定すれば、湯浅誠さんが云うところの「溜め」。

そういったものを「ドラえもん」に仮託されているのかと思っていたのですが、
そうでもないようです。
その辺りをお聞かせ願えませんか。

まず、議論の前提を共有した上で、話を進めたいのですが。

*それにしても、ここは居心地が悪い。
 「おめぇら、場違いな議論すんなら出ていけ!」って罵声が飛んできそうで・・・。
 「革命論」掲示板に移動して続きをしませんか?




ついでに  投稿者:劣等労働者  投稿日:2009年 7月19日(日)21時01分28秒 返信・引用
> No.545[元記事へ]

> なるほど、革命する側もそうでない側も、「救済の対象」として相手を見ることに問題がありますね。 そうそう、ドラえもんはある意味のび太を救済に(そしてその結果、セワシを救済する)きたわけで、そうゆう意味でもドラえもんは全然革命的ではありません

ニーチェは、「救済の対象」を設定しているキリスト教をルサンチマン的な思想として切り捨てたのであるが、そうなれば、力への意志=純然たる新自由主義という帰結しか生み出さないのではないのだろうか?
Re: 漫画「ドラえもん」をどう解釈するか  投稿者:劣等労働者  投稿日:2009年 7月19日(日)20時43分15秒 返信・引用
> No.544[元記事へ]

論点を整理します。

1.ドラえもんが仮に、資本制社会の「勝者」へとのび太を変革するための教育者・管理者だとしても、彼を打倒する必要性があるのか。ドラえもんがいなくなることは、のび太君にとっては、政治的なダダイズムを生み出すものであり、結果として、一生、落ちこぼれの人生を送ることにはなる。(ある意味では、至上の幸福とも言える)

2.冷徹な資本の論理に打ち勝つ人材を育てるためのドラえもんではなく、万民を救うドラえもんにすることはできないか。(実際、ドラえもんは、ジャイアンやスネ夫のの願い事も、いくつかかなえている)

3.ドラえもんは、のび太君がのび太君のまま強くなるように「指導」というか、自主的に強くなるようにその能力を引出すべきものとしての存在なのだろうか。ひみつ道具を使ってスキルアップを狙うなどもっての外だというのは同感である。ただ、「指導」で、本当の意味でのび太君自身が強くなるかどうかは、ドラえもんの存在とはニュートラルなものである。ドラえもん=のび太君=出来杉君ではなく、ドラえもん、のび太君、出来杉君それぞれが個別に存在して、なおかつ階級的団結が出来る世界でないと、革命など起こりえないのではないか。

最後に、漫画「ドラえもん」が持つ意外な革命的側面について提起があれば、ぜひ教えていただきたいと思います。





党=ドラえもん?  投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 7月18日(土)22時47分57秒 返信・引用
劣等労働者さんの考えておられることは、私が単純に解釈するに「党」はドラえもんのように、のび太君がのび太君のまま強くなるように「指導」というか、自主的に強くなるようにその能力を引出すようなものであるべきもの・・・というものなのでしょうか?
まあ、ドラえもんの「階級的性格」は、通行人3さんのご指摘どおり、のび太を資本主義社会における強者にすることですね。

もしセワシ君が「共産趣味者」であったなら、ドラえもんを69年のどこかの党派OR学園に送り込み、「革命成就」を目指したほうが良かったかもしれません(そーすりゃのび太の失火の責任がセワシのところまで持ち越されることもなかろう)・・・この辺は、ドラえもん系掲示板?でやる内容ですな(^^)//

あと、NK様。「社会的弱者」への考察文、ありがとうございます。なるほど、革命する側もそうでない側も、「救済の対象」として相手を見ることに問題がありますね。
そうそう、ドラえもんはある意味のび太を救済に(そしてその結果、セワシを救済する)きたわけで、そうゆう意味でもドラえもんは全然革命的ではありません(^^)

革命的「赤ドラえもん」でも開発しますか。




漫画「ドラえもん」をどう解釈するか  投稿者:通行人3  投稿日:2009年 7月18日(土)00時45分52秒 返信・引用
> No.539[元記事へ]

劣等労働者さんへのお返事です。

> ただ、ドラえもんを追い求めることは、
>ドラえもんのような存在が、のび太君には必要であるという意味です。



そうなると、漫画「ドラえもん」をどう解釈するかという問題になってきますね。

そもそもドラえもんは、のび太の良き友やペットとしてではなく、
資本制社会の「勝者」へとのび太を変革するための教育者・管理者として、
野比家に居候しているのです。

のび太創業の会社が、失火で多額の負債を抱え、その返済による野比家の窮乏故に、
玄孫・セワシのお年玉はたったの50円。
この屈辱的な家計状況を打開せんと、
セワシがタイムマシンで1969年の野比家に送り込んだ教育係がドラえもんなのです。

四次元ポケットから繰り出される数多の「ひみつ道具」が、
のび太に帝王学を叩き込む装置として妥当なのか、甚だ疑問が残りますが、
冷徹な資本の論理に打ち勝つ人材へとのび太を鍛え上げることこそ、
ドラえもんの存在理由に他なりません。

「ひみつ道具」を軸に展開されるドタバタ喜劇は、一見、良質の児童漫画なのですが、
実は漫画「ドラえもん」の世界は、
「のび太的存在」=「資本制社会の落伍者・社会的弱者予備軍」とする
自己責任論イデオロギーによって成立しているのであり、
「現代版イソップ物語」といって過言ではありません。

のび太の「自己解放」。
それは、意地悪なジャイアンやスネ夫を打倒することではありません。
ドラえもんのひみつ道具を使ってスキルアップを狙うなどもっての外です。

あたかも信頼のおける良き玄孫を装いながら、
実は徹底的にのび太を資本の論理に従属させんとするセワシの打倒。
そして、セワシの走狗としてのドラえもんの解体。
それなくして、のび太の精神的自立も自己解放もありえません。

ところが、のび太はセワシやドラえもんの野望をことごとく粉砕していきます。
私は、そうしたのび太の有する革命性ゆえに、
「のび太はのび太のままでいい」と思っています。

この点、つまり漫画「ドラえもん」が持つ意外な革命的側面については、
クズ箱に投入される前に、複数のご要望があれば提起したいと思います。
ま、そんな要望はおそらくあるまいが。





雑感 いささか揚げ足取り的  投稿者:NK  投稿日:2009年 7月17日(金)02時45分38秒 返信・引用
まず「社会的弱者」と言う言葉は、誰が誰に対して使う言葉なのだろうか。生活に困窮している者を指すのであれば、その状況に応じた表現があろうと思うし、「失業者」であれ、今日一般化しつつある非正規雇用労働者にしても、老人、「障害者」も一括りに「社会的弱者」と呼ばれるいわれは無いと思います。いずれにしても、ブルジョア社会が生み出し、余儀なくそう呼ばれる人達は、帝国主義支配階級による「弱者」と言う侮辱を許しはしないでしょうし、搾取、抑圧、差別、抹殺の只中にさらされている人々は、1日を生きる為だけにしても、自己を救済対象、哀れみの対象として扱おうとする、マスコミや支配階級のイデオロギーに汚染された周囲と闘わざるを得ないと言えます。

こうして所謂「社会的弱者」とは、支配階級が自らの強欲によって生み出した犠牲者を、あたかもその責任を当人が持って生まれたかのように転化する言葉に他ならないでしょう。それにしても、こうした純然たるブルジョア用語をそのまま受け入れるのはなぜだろうか?
ブルジョア社会の階級社会としての特殊性は、資本家と労働者の関係があたかも自由な契約と労働の成果の分配という外観を採るために、労働者であれその他の勤労人民であれその階級性は経済学的分析と言う迂回的方法を通してしか理解することが出来ないことにあります。先にあげた「社会的弱者」と言った言葉一つにしても、支配階級の側から見た被支配階級の呼称に過ぎないのですが、これもまた階級的視点の希薄な(唯物論的分析の観点の無い)中核派などの小ブルイデオロギー党派等は無批判的に追従しようとしています。

さて、7月13日参議院で成立した、「臓器移植法案」いわゆるA案は、臓器移植をめぐる法の改正などではなく、医師の脳死判定によって、「脳死」(重篤な脳機能不全状態)患者を死者として扱い、一律の治療の停止(死者に保険適応は無い。)、さらに進んで回復不能と宣言された末期患者、「障害者」の大量的死をもって医療費を削減することを目的とするものです。この法以後、これに逆う医師、病院は存続すら難しいでしょうが、与野党の多数と言う形をとった日本帝国主義ブルジョアジーの意思の強制であり、末期患者、「障害者」殺戮の「安楽死」合法化は目前に迫ったと言えるでしょう。これはナチスや戦中期に匹敵する危機の中に日本帝国主義があることの表れと言えます。闘う「障害者」は、「労働運動で革命」とか「協同組合運動」とかいう転向者のたわごとに惑わされること無く、かつてのごとく帝国主義国家権力と非和解的対決に進まなければなりません。いずれにしても全ての人民による決死の戦いは不可避と言えます。

最後に動労千葉はそれほど持ち上げられる存在なのか?ということについて、中核派(中央派)、関西派を問わず「動労千葉は戦闘的」なる神話が横行している。成程かなり昔のある時期まではそうであったかも知れません。しかし97年以降のDCとその指導部の振る舞いは、過去の栄光の数々を泥で踏みにじり、幹部が金と享楽にうつつを抜かす日本でも最も腐敗した労働組合の一つに成り下がったと言えるでしょう。旧NCの幹部連は、多かれ少なかれDCのおこぼれに預かるか、或いは自分も同じ事をしようと考えるかのいずれかであり、組織の分断化とボス支配の先鞭をつけたのが中野氏をはじめとするDCの幹部であったのは間違いないでしょう。2006年から7年にかけての一連の騒動が路線やイデオロギーの相違に起因するものではなく極めて醜悪な利害の対立を原因とするモノであることは、全ての潮流のDC擁護=共通の罪の隠蔽にあらわれている。また中央反対派による総括や自己批判がまったく労働者人民を愚弄したいい加減なものであるのも、今日中央派と大差ない社民以下の改良主義の蔓延も、DCの腐敗を起点とした自己の現在を直視できない小心さとその裏返しである自称前衛の傲慢さにあると言えるでしょう。悲しむべき俗物、小市民的心情だが、断じて許されるべきものではない。真実を直視し、恐れずに大衆にそれを告白するものだけが運動の残骸の中から共産主義運動再建の希望を手にするだろうが、果たして何人がその道に立ち戻るものだろうか懐疑的ならざるを得ない。




こんなんあったなぁ~  投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 7月16日(木)21時16分28秒 返信・引用
>>4
右派・日和見主義者と何とでも罵声を浴びせて頂いても結構なのですが、私にとって中核派の叫ぶ「革命」なんぞより、明日の生活をどうするかの方が重要なのですよ。・・・(中略)・・・つまり、労働者階級にすらなれないのですよ。首尾よく就職出来たとしても動労千葉のような運動なんて体力的・精神的にとても出来そうもありません。中核派が私のような「社会的弱者」の存在をどう考え、どのような社会変革のプログラムを考えているかを知りたいのです。「プロレタリア革命」という空文句に逃げないで下さい。今の中核派は宗教団体と変わらなく見えます。

 う~む、私はこの掲示板に、自分の思いついたことしか書いていないから、「反中核連合」さんの疑問をほったらかしにする原因を作ってしまったと思うので、お詫びすると共に、ホンモノの「中核派」からは誰も返答しないようなので、勝手に私が思うことを書いてみた。
>「社会的弱者」の存在をどう考え、どのような社会変革のプログラムを考えているかを知りたいのです。…おそらく、明確なビジョンは、中核派はおろか、共産党も新社会党も、その他諸派の皆さんも持っていないと思うぞ、20年ほど前に私がオルグされた時に、担当の方が「レーニンは革命に参加できない者はいない、赤ん坊でも革命に参加できる!と言った」と私に言ったのはよく覚えている(どの著作、何の場面でそのようなことを言ったのかは不知)ただ、「障害者」のたたかいや「高齢者」のたたかいが中核派であろうとなかろうと、確固として存在する・・・「動労千葉」のように闘うのか、そうでないのかは問わない・・・のは事実だし、またそのように立ち上がることが難しい人も沢山いるのもまた現実だろう。反中核連合さんも、自分のできる範囲で、できることをやればいいわけだ。その現実と格闘しながら、一歩一歩「生きるための権利」「人らしく生きるための政策」をもぎ取っていくことを水路として、社会革命に到達していくというのが、あらゆる党派…共産党が選挙で日本を変えようとしていることも含め…のイメージではないだろうか?
 で、もって現在の革共同中央のような「労働者階級への刻印」だといった、なんでもかんでも労働運動・・・というのは成り立たないと思うぞ。

あとで思いついたので、追記…現在の世界恐慌情勢で、「社会的弱者」はどうすればいいのか?企業も国家・自治体政治権力も何もしてくれない中、生き延びるためには、「協同組合的」なものを作って、自衛するしかないだろう。その「協同組合」は、医療、生活、仕事その他もろもろを、地域の住民(労働者あり、自営業あり、隠居さんありの)で作って運営していく。その運営は民主主義の原則、しかも代議制のような「だれかにやってもらう」のではなく、自らの手で行なう、直接民主主義的な、しかも挙手で賛否を問うものではなく、自ら執行するソビエト、レーテ、コミューン的なものとなる。そこでは成員の「団結」の「空叫び」は通用しない。実際に運営し、生活することが求められるからだ。そこで生まれたものが本当の「団結」であり、「革命」につながる。
 あと、私が常々いうところの「ブルジョワジーとのドンパチ」には、このような協同組合作りも含まれるものとして解釈して欲しい。その中で、「のび太君」は「のび太君のまま」変わって、強く、やさしくなることができるのだと思うぞ。

去年の10月ぐらいのお話・・・そーいや議論していたのは「反中核連合」さんだった(^^;
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-085e.html




ドラえもんです(^^)  投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 7月16日(木)21時01分48秒 返信・引用
>ドラえもんの誕生日まであと103年と2カ月――待ちきれない方のために、21世紀の最新技術を積んだコミュニケーションロボットが登場した。
http://p-bandai.jp/item/item-1000000124/
MY ドラえもん

残念ながら、タケコプターもどこでもドアも使えません(^^)/
四次元ポケット技術なきまま、二足歩行できる実物大ドラえもんが家にいると、はっきりいってジャマです、粗大ゴミです(^^)(^^)(^^)

劣等労働者さんの「のび太君革命論」についての議論は、「革命論」掲示板がブッつぶれたため、中途半端に終わってしまいましたね。
こちらでやりましょうか?

http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-88d6.html




Re: のび太くんは誰と闘うのか?  投稿者:劣等労働者  投稿日:2009年 7月16日(木)00時44分34秒 返信・引用
> No.538[元記事へ]

通行人3さんへのお返事です。

> > 私は、ドラえもんを追い求める道を選ぶ。
>
> のび太くんは、のび太くんのままでいいんじゃありませんか?
> 強いて云えば、ドラえもんこそ、のび太くんが闘うべき相手かと。

仰る通りです。ただ、ドラえもんを追い求めることは、ドラえもんのようなロボットを目指すという意味ではなく、ドラえもんのような存在が、のび太君には必要であるという意味です。ちなみに、ドラえもんと闘うべきかどうかは、ドラえもんが、何の譬えなのかによって、解釈が分かれると思います。ここは、謎ということで。





のび太くんは誰と闘うのか?  投稿者:通行人3  投稿日:2009年 7月15日(水)23時20分28秒 返信・引用
> No.535[元記事へ]

劣等労働者さんへのお返事です。

> 私は、ドラえもんを追い求める道を選ぶ。

のび太くんは、のび太くんのままでいいんじゃありませんか?
強いて云えば、ドラえもんこそ、のび太くんが闘うべき相手かと。




Re: 具体的な運動に対しては絶望的に消極的  投稿者:劣等労働者  投稿日:2009年 7月14日(火)07時19分16秒 返信・引用
> No.536[元記事へ]

革共同反中央派さんへのお返事です。

> 劣等労働者さんへのお返事です。
>
> それを言うなら「起きて半畳、寝て一畳」

すいません。贅沢言ってしまいました。



Re: 具体的な運動に対しては絶望的に消極的  投稿者:革共同反中央派  投稿日:2009年 7月13日(月)04時26分22秒 返信・引用
> No.535[元記事へ]

劣等労働者さんへのお返事です。

それを言うなら「起きて半畳、寝て一畳」




RE:具体的な運動に対しては絶望的に消極的  投稿者:劣等労働者  投稿日:2009年 7月12日(日)20時42分8秒 返信・引用
> No.534[元記事へ]

> 「中央派批判には積極的だが、具体的な運動に対しては絶望的に消極的」だ
> という印象をぬぐいさることができません。
>
>確かに、管理人さんの指摘の通りである。個人的には、飯食って、寝れればそれで良い。運動よりも「起きて3畳、寝て1畳」である。ただし、体制内勢力を露骨に舐めきった党派には、断固として批判しなければならない。今日も、約700キロ離れた仲間から、メールが届いた。一人の労働者の斗いを支えるためのメールが。彼の斗いを支えるため、同じ立場、問題を抱える労働者として「起きて3畳、寝て1畳」の生活をするために、わずかながら、権力に対し、請願をする。それすらも否定するのは、底辺で必死に耐えている労働者の生存権を奪うものだ。のび太君が、ジャイアンになって、斗うなんて、それは無理な話だ。私は、ドラえもんを追い求める道を選ぶ。法政大の問題にしろ、いずれそういう方向に行かなければ、必ず自滅する。裸踊りそのものは面白いが、あとには何も残らない。労働者、学生を犠牲にし、挙句の果てには、「労働運動で、過労死、獄死しよう」というのが、今の安田派のスローガンとしてお似合いではなかろうか?


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